ぬるい
過去を記憶として会得するまでに随分と時間がかかる性分で、私はいつも置き去りにされる。
写真や買ったものは確かにあるのに、自分がその時を過ごした実感がいつまでもなくて、夢か幻か何かかと思ってしまう。ぽっかりと穴が空いたかのように、まるでその瞬間の記憶を失ってしまったかのような心持ちになる。
時間も人も待ってくれなくて、ただその瞬間に切り取った破片だけが部屋に点々と残っているから不安で仕方がないのだ。怖くて寂しくて堪らなくなる。
早ければ数時間、1日2日で記憶として昇華できる場合もあるけれど、1ヶ月、1年経ってもほわほわと気持ちが定まらない事もある。
置いてきぼりだ。
写真を見ると不思議な気持ちになる。
直接的に当時の情景を想起させるのに、自身の経験とは思えないような、何処か他人事のようで。
あの時、あの場所に私は本当に居たのだろうか。
私はちゃんと存在していたのだろうか。
私が写真を撮り続けるのは、いつも不安だからなのだと思う。疑っているからなのだと思う。自分の存在を。
だから目に入るものを4:3の枠の中に収めて、それで安心する。私はちゃんとその時を生きていたのだと確信する。
写真は、私の記憶と存在を担保してくれる。
いつからか私は、自分の頭で記憶することを諦めてしまったのかもしれない。
人のぬくみ、声音、匂い、風のおと、雑踏、やけに眩しい街灯。第六感に畳み掛ける何か。
時間は待ってくれない。人も、何もかも、待ってくれないというより、ただただ進んでしまう。能動的な現象。私が遅い。いつも遅い。もうちょっとゆっくりしていってよ。
別れの唐突さに鈍感でありたい。辛いから。
過去ばかり見てしまうのは、過去に置いてきたものが多すぎるからだ。
拾い上げる前に私はどんどんどんどん引っ張られて先に進んでしまって、確信を持てないままここまで来てしまった。
この先もきっとそう、そしてどんどん磨り減っていく。
数年後、今現在続いている形だけの逃亡劇に終止符を打つことにした。
未来に期待してる。