ぬくもり

あたたかくして寝よう。

ひとり

7月になった。

 

ここのところは雨が続いていて頭痛も日毎に辛くなってくる。

しとしと降る雨はなかなか止まなくて、体調もどんどん落ち込んでいくものの不思議と嫌いじゃない。

なんだかんだ私は雨の日が好きだ。むろん晴れの日も雪の日も好きだ。

寒いのも暑いのも、生温いのも涼しいのも結局嫌いになりきれない。自分でも変だなと思う。

 

 

久しく投稿をしてなかったが、下書きにはどっぷりと私の思想が蓄積されている。

今日は、私の心配の種でもある一人暮らしについて話したい。

 

今現在私は家族4人で暮らしている。

来年、希望通りの進学先へ行けたら私は此処を離れることになる。

そして1人での生活が始まる。

 

私が心配しているのは、生活面ではない。

炊事洗濯などの家事全般は難なくこなせる自信がある。私は家族の誰よりも早く起きて作業をしているし、ご飯も自分で準備しているからだ。帰りはいつも1番遅いし、今の生活からして1人であろうとなかろうと、何も問題がないとは思う。

バイトしつつ勉強もして、うまく一人暮らしを成り立たせられる自負があるものの、唯一心配なのはメンタルである。

 

時折、1ヶ月、または2ヶ月に1回、無性に寂しくなる。

そこに物理的な存在は関係していない。同じ屋根の下家族がいる、その事実とは干渉なくただただ途方もない寂しさを感じる。

言葉ではうまく表現出来ないものの、そういった感情があるのは確かで、さらに言えばその寂しさの原因も、それを埋める方法も、何もかも分からないから困る。

 

でも決まって寂しくなるのは、何か考え事をしている時や何もせずぼーっとしている時だから、きっとそれが関係しているだろう。

私は何かと考え込む癖があるが、それは多くが答えが出ないもので、ただ自分の中でぐるぐると回り続けるだけだ。時間にも心にも余裕ができた途端何もせず考え事をしてしまい、その結果なんだが寂しくなるのだ。

『考え込む内容』はその時々だが、大抵どうしたらもっと効率よく物事を進められるかとか、生きていく目標は何にしようとか、課題をいつまでにどうやろうかとか、明日のご飯は何にしようとか、そんなことである。

いろいろ考えているうちに、『人生ってなんだろう』とか『私にとって幸せってなんだ』とか『死んじゃったらどこ行くのかな』とか……果ても無い哲学的な世界に行ってしまう。

 

そうこう思考をめぐらせていると、途端に寂しくなる。

そして寂しさを解消できないままその晩まで引き摺って、布団にくるまって悶えるのがオチだ。

馬鹿だな。

と自分でも思うが、考え込むのは私の習性だろう、もう仕方ないと諦めている。

だから私は寂しさを埋める方法を編み出したいと思うのだ。

 

一人暮らしは、とても自由なものだと思う。

好きな時間に、好きなことが出来るから。

何をしても、咎める人がいないから。

マイペース。マイペース。マイペース。

のほほんと、自分が自分に合わせて生活出来るのはいいな…と思うけど、その分怠けてしまいそうだなとも思う。少し怖い。

自由というのは、それだけ自分への責任が重くなる。

家族と暮らすというのは、或る意味お互いを牽制し合っていると思う。他人と暮らすのは、自由であって自由でないからだ。そこに必要なのは『協調』に他ならない。

自分が好きなことを家族全員がやったら、その家庭は崩壊してしまうだろう。

今でこそその環境に置かれていて、節度を持ち生活しているが、いざ一人で暮らすとなったらどうなるのだろう。

私は今のように、ちゃんと生活を送れるだろうか。

自分を律することはできるだろうか。

とまた考えてしまう。答えなど出ないのに。不安になって、もんもんと深くまで考え込む。全て杞憂であれば良いと願っている。

でも全て自分次第なのだ。

それがまた私の不安を煽る。

 

 

こうして私は愚かにもまた眠れぬ夜を過ごすのだが、結局突如襲いかかる正体不明の寂しさを解消する方法は分からない。

一体何が足りないんだろうな。